突然入院することになった
入院なんて、テレビでしか見たことなかったのに、突然自分がすることに(今はもう退院済み)。
入院は、どんな人にも起こる可能性があります。
病院食や心霊体験はあったかなど、病院での生活について細かく書きました。
夜中、お腹(右下)がちょっと痛くなった。
次第にお腹全体に激痛が走り、痛みのあまりゴミ箱に胃液を吐いた。
ふらふらしながら布団に入り、寝たか(眠剤飲んでいたから)気絶したか分からないけど、朝が来た。
夜中よりマシになっていたから、そのまま出社しようとしたけど、歩くだけで痛い。響く感じでズキズキする。
寝違えて肉離れでも起こしたのかと思いながら、近所の病院へなんとか行った。
痛みが増して歩行困難になったので、病院では車椅子で移動し検査してもらった。
そのまま紹介状を書いてもらって、大きな病院へ向かった。
内科か婦人科か分からないらしく、行き来しているせいか、とにかく待ち時間が長い。
造影剤CTと血液検査と超音波検査をしたけど、11:00〜19:00と8時間かかった。
待っている間は固いベットで寝て、痛みは酷くなるし熱っぽいと思ったら、36.9度になっていた。
最後に触診もあったけど、これがとにかく痛い。
お腹を押さえられている時はそうでもないけど、パッと手を離されると激痛。
「お腹に力入れないで」
そう先生に言われたけれど、気絶でもさせられないと、そんなことできるわけがない。拷問かと思った。
検査結果、原因不明だけど炎症反応が高いらしく
と言われてびっくりした。
拒否したけど入院しかないと。
「明日出社した後、九州へ旅行行く予定なんです。明日退院したい」
そう伝えると、検査結果次第だとお医者さんからなだめられた。
入院して、まず困ったことがある。
今日まさか、入院すると思って家を出てないから、コンタクトの洗浄液すらない。
困っていたら、看護婦さんがこれをくれた。
『コトッ』
生理食塩水をもらって、この中にコンタクトを入れた。斬新なコンタクトケース。
泊まるところは相部屋だけど、カーテンで区切られてるから隣の人と話すこともない。
「よ!新入りか?よろしく!」
とか言われることも一切ない。
▼病室(入院して数日後の写真)
昔、広さ4.5畳のシェアハウスに住んでいたことがあったけど、そこに似てる。
(良かったー、シェアハウスに住んだ経験があって。これずっと実家暮らししてた人は狭いと嘆きそう)
あと、私バックパッカーで
こんな宿にしょっちゅう泊まっていたから、狭さに耐えるのは余裕。
消灯時間は21:00
とにかく痛くて痛くて…寝返りを打ったりするだけで激痛が走る。腕にはずっと点滴が繋がられていた。
また、相部屋は割とうるさい。
痰を吐きまくってるおばあちゃんがいるんだけど、奇声を発して怖い。
とにかく寂しくて不安で、 大きな声をつい出してしまっている。
※イメージ画
可哀想なんだけど、めちゃめちゃ怖い。
別の人はイビキうるさい。なんか訴えてるのかと思うレベルでイビキが大きい。
それより何より、とにかく痛いのが辛い。点滴に痛み止め入れてくれたけど効果がない。
今日明日出社して九州行く予定だったのに…なんか拷問みたいな目にあってる。
と思いながら眠剤を貰ってなんとか寝た。
起床時間は6:00
(あ、これ確かに入院だわ)
改めて思った。寝ても治らないし、寝返り打つだけでもまだ激痛が走る。泣いた。
とにかくこの痛みをどうにかしてほしい。
痛みを紛らわそうと、刑務所に入ってる人の漫画を読んだ。
(この人たち、閉鎖的な環境にはいるけど、痛くないんだよなぁ。それだけで、私よりよっぽど良いやん)
そう思ってまた泣いた。
病院はスマホ持ち込み可だったからびっくりした。そして、スマホがない人はずーーっと痛い苦しいと思いながら過ごしているのか…気が狂わないのか不思議だった。
「意外な人が来てくれたり、普段は綺麗事ばかり言うのに、本当に困ってる時は助けてくれない。お見舞いって相手のことがよく分かる」
と、以前入院している人に聞いた。
その時は
(そんな事で友人を分別されても嫌だなぁ)
とか思っていたけれど…ああと、納得した。
これ、多分入院しないと分からないかも。もちろん仕方ない理由の子がいるのも分かる。
来てくれた子は本当大事にしようと思った。
普段あんまり会わないのに、地方に住んでる子がわざわざ来ようか?と言ってくれたから、びっくりした。その子は身体が弱くてよく入院していたから辛さがわかるんだと思う。
また、たまたま友人がこの病院から徒歩圏内の場所に住んでいた。
友人:ちょこたちゃん(仮名)
元理容師。気づいたら船の上で働いていた。魁!!男塾、龍が如くといった古い漫画や馬、マッチョ、スウェーデン人とお菓子作りが好き。
私の荷物を家まで取りに行ってくれたり、お茶やシャンプーなど買って来てくれた。物凄く助かる。
緊急入院して思ったけど、家族や友人がいないと無茶苦茶困る。
友人が帰ったあと、痛いし怖いし入院とか突然過ぎて落ち込むし泣いた。
あと、親を通じで最近知り合った人もお見舞いに来てくれて、雑誌を買ってくれた。
シェアハウス時代からの友人と、友人のお姉さんもお見舞いに来てくれた。
私「ここのシャワー室、私達がいたシェアハウスより広いですよ!」
友人「マジで?」
見舞いって本当ありがたい。この時だけ色々紛らわせられる。
仕事の間に私が欲していたものをわざわざ届けに来てくれた子もいた。
また、関係ないけど…
見舞いの人、みんな点滴を見る。
「面白い」「見てしまう」「そろそろ点滴終わりそうだけど大丈夫?」
など。
点滴が終わったら大変なことになるというイメージがあるみたいだけど、実際全然大丈夫。
病院って絶対幽霊が出そう、入院するなんて怖すぎるって昔から思っていた。
実際入院すると、その怖さは全然なかった。
廊下がまず明るいし、ナースコールが鳴りまくってる音が聞こえるし、常に誰か動いている。
そして看護婦さんって凄いなぁと思った。
優しいし話し方も安心感を与えるためにゆっくり伸ばすように話す。そしてよく動く。
就寝時間は21:00、起床時間は6:00だけど途中
って、起こされる時がある。寝起きドッキリどころじゃない。
結局、合計3日間ずーっと断食をした。
『食事=点滴』
点滴を打ってるせいか、腸が炎症起こしているせいか、お腹がすかない。不思議な感覚。
お茶を飲むけれど、のどが渇いて飲むというより嗜好品として飲む感じ。
けど
「美味しい!」
って味わいたい気持ちが強くなる。お腹は空いてないのに。変な感覚。
ひたすらグルメサイトを検索して
・細かくしたたくあんと鰹節とマヨネーズを混ぜたもの
・コロッケ
・シャケ
と、理由は分からないけれど、決して高級料理とかではないものを味わいたいと思っていた。
あと、私はいつも夕方くらいには髪がベタつくけど、絶食中はサラサラしてた。
食べるものによって、ここまで体質が変わるのか。
3日断食した後、流動食の許可がおりた。
流動食かぁ…と一瞬がっかりしたけど、出てくるまでわくわくした。
重湯はこう…うん。見事に米がない。すくってもすくってもない。
次にかぼちゃスープを飲むと笑うほど美味しかった。普通に食べると多分まずいんだろうけど、久しぶりに「味わう」を楽しんだ。
次に具なし茶碗蒸し。これも美味しすぎて笑う。だしの味がする。
あと可哀想だけど、食事中おばあちゃんが「カーッ」って言う後に「ピチャピチャ」と痰を吐く声が耐えられない。
遮音性の高い耳栓が入院中は必須。
これくらい食べたところで物凄く疲れて倒れた。1日丸々どこか観光した時より、ずっと疲れる。
しばらく休んだ後、起き上がってまた食べてを繰り返すと、重湯以外完食できた。
翌日
一気に食べ物が固形物になった。ただ、これ普通の病院食より軽いやつみたい。
もともと、朝は食べないし重い。胃がびっくりする。
大根の煮付けとスクランブルエッグを一口ずつ食べるのが限界だった。
しかも
(スクランブルエッグエッグまずっ!スクランブルエッグがまずいことってある!?)
多分卵に何か入ってる。
味はルーマニア で食べた『ママリガ(トウモロコシを粗く挽いて粉にし、粥のように煮てから牛乳とバターを混ぜ込んだ料理)』に似ていた。
昼はこれ
肉が出てきてびっくりした。
テリーヌっぽいやつで消化に良さそうな肉だった。
夜はようやく普通の病院食が出た。
もやしのナムル(酢っぽいやつ)と麻婆豆腐と味噌汁とお粥。笑うほど美味しい。味がちゃんとしてる。
病院食は薄くて不味いって聞いたけど、全然そんなことなかった。
もちろん、大戸屋の方がはるかに美味しいけど。
固形食を食べれるようになるあたりから、痛みはあまりなかったけど、排尿時や少し歩くと痛い。
3日間24時間ずーっと点滴をつけっぱなしだった箇所が痛みはじめた。
手の甲に刺しかえてもらったら、余計痛くなった。ネットで調べても
「手の甲は痛い」
「手の甲は最後の手段」
と色々出てくる。これ、いつかまた入院した時は絶対に手の甲に打たないでくださいと伝えようと誓った。
最終的に右腕につけてもらったけど、ここだと動きやすいし痛くない。
固形食に変えた翌日に24時間点滴から、抗生物質投与1日4回のみ変わった。
針は刺さったままだけど。
ちなみにシャワーを浴びる時は
サランラップでぐるぐる巻きにする。
病院には売店やレストラン、あとスタバもある。
▼スタバ入り口
見舞いに来た友人を案内した。
5分以上歩くと、きつくなるから猫背になる。
▼スタバの客席
スタバの席は患者でも苦痛がないようにゆったりした席だった。
私みたいに点滴を打ってる人や、お医者さんもいてかなりシュールなスタバだった。あと、店員さんが凄く余裕があって優しい。
▼売店
売店は普通のコンビニ。
パジャマや色々病院グッツも売っている。
子供の娯楽グッズが充実しているのが、なんか切なかった。
売店の隣にはテレビでしか見たことないようなレトロなものもある。
お医者さんがやってきて
「大腸に潰瘍があると思う。大腸検査しよう。てか、むしろ原因不明で退院の方が怖いからなんかあってほしい」
と言われた。
大腸検査怖いなーって思ったあと、そういえば大腸に潰瘍ってあんまり聞いたことないなぁ。胃潰瘍は聞くけどと思って調べたら『難病指定』だった。
(えええええ!?)
なんか大腸検査より難病の方が落ち込んだ。
母に話すと母乳あげられなかったからかなぁ…と落ち込んでたけど、関係ないと思う。
父からは翌日電話がかかってきた。潰瘍性大腸炎を知っていたみたい。
父「難病だぞ!?一生治らないんだぞ!?」
私(昨日知ったし、昨日で一生分落ち込んだ)
けど、なんか見つかって欲しいかも。現段階では原因不明の腸炎症で止まってるから。不気味すぎる。
取り敢えず一旦外出許可がおりたから、家に寄ってみた。お腹が痛むけど、休憩を挟むとなんとか帰れた。病院に戻って今度は外泊許可を出した。
病院でずっと寝てると気が狂う。
外に出ると風に当たれるし、太陽の光を浴びれるしハイテンションになった。
ただ、お腹の痛みが気になるし、食中毒になった後のようなこの怠さ、軽い気持ちの悪さは治るのかと不安になった。
帰宅しても基本ずーっと寝たきり。これからのこととか考えると凄く不安になる。
家族がいる人はこう…
周りの人が色々世話してくれるのだろうなぁ。
一人暮らしだとめっちゃ大変。
しかも帰ってシャワーを浴びていると、排水溝が詰まってそこから部屋中に水が広まった時は
「終わった」
と思った。衣類を撒き散らして拭いたら、お腹が痛み出した。
次の日、青森県から東京へ研修に来てる子がお見舞いにきてくれて
『アゼルバイジャンという国でザリガニ食べた話』
とか聞いたりした時だけ、ほっとした。人がいると安心する。
検査日の前日に病院に戻った。
「おかえりー、きせつちゃん」
って看護婦さんが言ってくれた。
21:00に500mℓの下剤を貰った。
「グレープフルーツ味ねー」
今、そんな味の下剤があるんだと驚いたけど、まずい。
なんかぬるくてしょっぱくて、少しどろっとしたスポーツドリンクって感じ。冷やしたら多分飲みやすい。
明日は2ℓ飲まなければいけない
らしい。わらう。
飲んだ後はお腹が張って吐き気がした。
朝、6時くらいにようやく下剤の効果が出てきてくだしたけど、そんなに辛くはなかった。
毎朝、しょっちゅうくだすし慣れてる。
その後、再び下剤。昨日のやつより飲みやすい。コップ一杯そそぎ、それを15分くらいかけてゆっくり飲む。
1ℓ飲んだところで下痢が水になったので終了。無理に2ℓ飲まなくて良いらしい。ガスを抑える薬ももらった。
これも、疲れるけど思ったほど大したことなかった。
いよいよ大腸検査へ。
恐怖でめちゃくちゃ緊張してた。眠れるように頼んだけど断られて局所麻酔だけに。
「痛い痛い痛い!!お腹爆発する!無理無理無理無理!!」
激痛で悲鳴あげまくったら局所麻酔だけは無理となって、眠くなる点滴を追加した。
なんかよく分からない間に終わった。
その後ぼーっとしたけど気分が良い。
取らなくても良いポリープがあるくらいで特に問題がなかった。
炎症の原因は不明だけど卵巣か胃腸炎の悪化かもと。原因不明な事は多いらしい。
その後、また婦人科の検査を再び行ったけれど、大きなことはなさそうだった。子宮内膜(卵巣嚢腫)くらい。嚢腫もまだ切らなくて良いと言われた。
部屋に戻って寝て、起きたらお腹がぐびぐびいっていた。
「家族の方は?」
看護婦さんにそう聞かれたけど、私は1人暮らし。家族がいる人は本当良いなぁ。
退院して、翌日に出勤したら具合が悪くなった。軽い気持ちの悪さ+ぐったりとした怠さ。
家に帰って、このまま治るか不安になった。何度か通院して薬を変えてもらった。
合計2週間ほどの入院生活。
はじめはびっくりしたけれど、次入院するときは心の準備ができる。
・寂しがって看護婦さんに助けを求めるおばあちゃん。
・千羽鶴がつるされているベッドで、一日中テレビを見つめているおばあちゃん。
が特に印象的だった。己の最期も考える。
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